携帯電話今昔

先日、息子の通う学校から「携帯電話を持つデメリット」なる紙が届きました。どこでも連絡できるメリットに対して「悪の誘いが増える」「夜遊びのきっかけになる」「知らない人に番号を教えてしまって、架空請求の原因になる」等々、なかなか親としてはつらいことが書かれていました。実際、自分が仕事で便利に使っているものですから、それを使うなというのは無理があるなあ、というのが正直なところです。

また、男女で使い方が結構違うなというのも最近感じます。自分を含めて男性は従来通りの連絡・伝言に使うことが多いのに対し、女性はやはりコミュニケーションの道具として使っているなあと感じます。親指だけでああも早くメールが打てるのは、使いこなしている証でしょう。

さて、そんな子供たちには誘惑と悪の象徴?になりつつある携帯電話ですが、その機能は既に電話の粋を超えてしまっていますね。メールはもちろん、GPSを使った道案内、電子マネーと組み合わさった財布、定期券、カメラもデジカメとほとんど差がないものもあります。心から「立派な携帯端末になってきたなあ」と感心しています。パケット定額制が本格化するとさらに、電話以外の使い方がさらに普及していくことでしょう。

一方で、高齢者や障害者向けにボタンが3つしかない電話も欧州で発売されるようです。いつも使う2ヶ所とコールセンターの計3つ。音声認識と組み合わせて呼び出したら電話がかかるようにしたらもっと便利ですよね。横道にそれますが、織田が昔使っていたP502は音声認識が非常に優れていて、友人や親戚をあだ名や屋号で登録して、音声で呼び出していたものです。1ボタン+音声で呼び出せるので結構気に入って使っていたのですが、哀れ洗濯してしまい次の機種へ。次のN504iでは音声認識は使わずじまいで、今使っているN506iは使っているのですが一々電子声で復唱してくれるのでちょっとわずらわしいです。

話は戻りますが、携帯電話というものがここまで広まってしまった以上、それを子供に使わせるなという意見は正直「無菌室で育てなさいよ」と言っているようなものではないでしょうか。大学生あたりになっていきなり携帯持って、うれしくなってジャンジャン使いまくって請求にビックリなんて落ちが目に見えるじゃないですか。やはり、車の免許を取る勉強があったり、交通安全の講習があるように危険も便利さも全部教えることが大切ですよね。

「自分で決めたことは守れ」が織田の基本的な生活スタイルです。ですから、もし携帯電話を持ちたいと息子が言ってきたら、危険も電話料金も全部教えてどうするかを決めさせようと思います。車を持ちたいと言ってきても同様です。自分で決めたことですから守る。もし守れないことがあったら、なぜ守れないかを話し合う。当たり前のことですがそれしかルールを育てることはできないでしょう。すぐに自動車の話に例えてしまいますが、「交通ルールを守ろう」は学校を始めとした地域の取り組みですよね。なぜルールを守る必要があるのか、ルールのできる前にはどんな悲惨な出来事があったのか、全部知ってもらった上で決めればよいのではないでしょうか。

親だけが便利さを享受して、子供には危険だからといって持たせない。「家は貧乏だからダメ」のほうがまだましですね。人は逆境をバネにしますから。