モータースポーツ(2)WRC

ご存知の方も多いかと思いますが、今年初めて日本でWRC(World Rally Campionship)が開催されます。F1に遅れること28年。でも、本当に開催されるとは。余談ですが「自分が生きている間にこんなことが起こるとはなあ・・・」と思うことは、ベルリンの壁崩壊・ソ連の崩壊・I銀行の破綻、そしてWRCの日本開催です。開催にこぎつけたスタッフの皆さん、本当にすごいと思います。

ラリーは欧米で非常に人気が高く、トップドライバーはビックスターです。日本車メーカーもイメージアップのためにラリー参戦します。ヨーロッパの若者の間では「スバル・インプレッサ」の人気は非常に高く、ラリー人気をうなずかせるものがあります。

このラリーという競技を一言で説明するのは難しいのですが、非常に乱暴に言い切ってしまうと「公道で一番速いドライバーと車は?」を競うものです。公道ですから未舗装路もあればいい加減な舗装路もあれば濡れた路面や凍った路面と条件も様々で、そんな中で競うところに非常に面白みがあるわけです。

このWRC、一度織田は参加したことがあります。マネージャーとしてですが。暴動が起きる前の1997年インドネシアで開催された「ラリーオブインドネシア」です。これがすごい。なにがすごいって軍隊が道を閉鎖して競技車両はおろかサービス車両もガンガン通してくれる。いかに国をあげて応援してくれているかがうかがえます。インドネシアは日本と同じ右側通行で、信号が赤でも左折は可能です。でも運転マナーは非常に悪くてちょっと遅いとすぐに割り込まれますし、クラクションはいつも鳴りっぱなしです。日本にもそんな時代があったはずです。でも、そんな道路を走っているといつしか気分はインドネシアン。参加車両は日産マーチ。日産唯一の参加車両ですのでいつしか日産のカンバンを背負っているような気分になったものです(錯覚ですが)。

そんなインドネシアで競技3日間を含め2週間ほどラリー漬けの毎日をおくっていたのですが、そのときに感じたことが2つあります。「世界というのはこんなにも広い」ということと「この中で一番の貧乏人は日本人だ」と。本当に世界中から参加者とメディアとサポーターがやってきます。これが世界選手権なんだなあとしみじみと実感させられました。英語かフランス語がわからないとこの世界ではまったく通用しないなあとも感じました。

また、通常国際ラリーともなりますと自動車メーカーが莫大な予算を投じてワークスチームを編成します。ドライバーやサービスクルー全体で20人~50人が全16戦世界を移動しながら競技するのですから、どれほど費用がかかるのか検討もつきません。次にプライベーターと呼ばれる人たちが半分メーカーにサポートしてもらいながら競技に参加しています。一つの競技の中に明らかなピラミッドが形成されています。我々はその最下層に位置していました。他国の富豪が召使にタイヤを洗わせている横で、我々はタオルを絞りながら黙々とタイヤのドロを落としていました。ワークスチームのコックさんが本格的はパスタを作るのを横目に(インドネシアの)カップヌードルをすすっていました。ワークスチームが先回りしていつもいいサービスポイントを確保するのに、我々は1クルーだけですのでいつも隅のほうの水場から遠い場所でした。不思議な感覚でした。最も裕福と言われた国から来たのに、そこでは一番貧乏だったのです。

逆に一般の人でも(富豪や王族・貴族でなくても)頑張れば日本人は国際ラリーに参加できる、という見方もできます。ベースにする車両も国産ですから他国に比べると非常に安いですし、円との差益のおかげでそのときはずいぶんと助かりました。でも、その時の不思議な感じはインドネシアのギラギラとした子供たちの視線(隙があればすぐになんでも持っていってしまうやつらですが、妙に憎めない)と共に今でも覚えています。日本にいても絶対に味わえない貴重な体験でした。俗に言う観光旅行でないことがよかったのでしょうか。また機会があれば体験したいものです。日本の考え方もやりかたもまったく主流ではないあの世界を。