読み書き計算の効能

先日、深夜のテレビで興味深い番組がありました。小さな小学校に新しく赴任した校長の「読み書き計算(昔は読み書きそろばんと言ったものでしたが、今は違うのですね)授業」の実践で子供達の学力が大幅にアップした、というものでした。

ユニークなのは、10×10のマスに書かれている数値をいかに早く計算し答えを記入していくかという100マス計算や、学年の最初にその年に使う漢字を全て学習してしまう漢字先取り、速いスピードで音読を繰り返すといった、全般的にスピードを重視する授業方法です。驚くべきことに、児童達はその100マス計算を全部こなすスピードをどんどんと縮めていき、2週間で約半分の時間で終えることができるようになるというのです。もちろん、一人ひとりに個人差がありますから、最初からものすごく早い子もいれば、最初は遅い子もいるのですが、目標を自分で決めてそれに向かっていく子供たちはとても生き生きとして楽しそうに取り組んでいるように見えました。テレビの画像というものは思った以上に表情をクリアにとらえますから、あの表情にうそはないように思えます。

前頭葉の脳波を計測すると、上記の繰り返し計算等を速く行うことで脳はとても活性化されるようです。そのときのインタビューでは2割~3割も能力が向上すると言っていました。すごいことです。

さて、織田は昔からゆとり教育というものに少々疑問をもっていまして、言い方は悪いですが「なぜ詰め込める時に詰め込まないのか、覚えることなしに推論することはできないのに。」といつも思っていました。研究所や大学で研究している人に限らず、企業で一目置かれるような人は必ずその専門分野の膨大な知識を有しています。物の名前であったり、特性であったり、事例であったり、その知識の種類は様々ですが聞けばさっと頭から出てくる知識が本当に膨大です。そしてその知識を前提に物事を組み立てます。医者や裁判官は過去の事例を参考に、パソコン相談では過去の様々なトラブルを参考に、政治家はステークホルダーとの利害関係を参考に。

世の中で仕事をするときに、ものすごくものをいうのが「あいつは○○をよく知っている」という事実です。知っているだけでは足りなくてそれを応用して適用しなければならないのですが、知らないとまずそのスタートラインに立てません。社会に出てもすぐに役に立たないと言われているのは社会に即した知識と事例を知らないからで、その社会に即した知識と事例を身につけるためにはその前から身につける習慣が必要です。これが若くないとつらい。年を召した方はよくわかると思うのですが、本当に年を取ると新しく覚えるということが出来なくなります。

結局昔から、古く江戸時代の初期からあった「読み書きそろばん」に戻るわけです。昔の人の知恵というものには理由があるはずで、図らずもこれも行ったり来たりした挙句にやっぱり昔の人は偉大だったということになってしまうわけです。江戸時代の地方の小藩が行う教育はそれは厳しいもので、佐賀藩などは試験に落ちると録が減らされる制度であったと聞いています。それはそれは厳しい条件で学問に取り組んでいたわけで、そこまで厳しくない現代でよかったと思う反面、知らないことが実はものすごくハンディになっていることを知らされずに社会に出てきているちょうど20歳前後の「ゆとり教育」真っ最中の皆さんは、大変可哀想な世代であると思います。

でも知ろうと思えば、やろうと思えばいつでもできるのが現代のよい所ですので、ゆとり教育のせいにしていないでここは一つ人よりちょっと勉強してやろう、という気持ちで頑張って欲しいと思います。何度も繰り返しになりますが、「あいつは○○をよく知っている」と思われることがスタートラインです。